自分に自信が無い、そんなときは

自分に自信が無くなる日や、

誰かと比べて、自分で自分を劣っている、と考えてしまう日が

あるかもしれません。 

 

 

しかし、自分を受け入れていて、自分の良さを認められる人は、

他人の良いところを評価し、悪いところを受け入れる「余裕」もあるので、

自信があったほうが、ハッピー、です。

 

人によっては

「調子が良いと、自信があるけど、綺麗な人を見ると、

自信が無くなる」とか、

「自分の年齢としては、イケてるほうだと思うけど、

若い子には負けるわ。。」

 

というような、一時的に自信が無くなっちゃうタイプもいると思います。

 

今回は、自分に自信が無くなったときの対処法を考えてみます。

 

つまり、自信が無いときは、「比較」をしている

 

私たちは「比較する」生き物なので、

比較をするのが悪いことではありません。

 

自分、という人格を持って生まれてきているので、

他者と自分を比較し、他者との差を認識できる動物です。

 

しかし、問題は、私たちが比較する時に

「優劣」をつけようとするところです。

 

 

優劣をつけないと楽になる

 

私たち人間は、大脳新皮質が発達しているために、

他の動物が持っていない「人格」や「時間」と言う概念を持っています。

 

この発達した脳が、私たちの悩みをつくるタネとなっていて、

 

「私より、あの人の方が人気があるから、私は劣っている」

「昔は、もっと楽しい人だったのに、最近はつまらない人」

 

など、人格と時間の概念から生じる「差分」を認識し、

そこに優劣をつける、思考のクセがあります。

 

しかし、優劣をつけるのでは、

何かを基準に、他者(あるいは自分)を、

おとしめる理由付けをしているだけので、

それは真実ではありません。

 

全て、同じものは無く、アーユルヴェーダ的にいうと

逆に、全てのものは同じものからできているので、

優劣をつけるのは、無意味なことです。

 

比較は自分の成長のために使う

 

人間が比較をするのは、成長意欲があるからです。

 

私たちは、原始の時代から、

生きるために、選択をしてきました。

 

どちらを食べるべきか、

どちらの道に行くべきか、

どちらのオスにするべきか、

 

自分にとって、より良い方を選ぶために

比較をすることは、基本的な欲求に基づく行為であり、必要です。

 

しかし、そこに優劣をつけるのではなく

「自分にとっては」どちらを選択すれば良いか

「自分にとっては」どういうふうに、それを認識したいか、

という自分の成長のための、「認識」に誘導することができます。

 

他者と自分を比べて、自分には無い、良いところがあるのであれば

それをお手本にして成長しようと、「成長意欲」に変えれば良いのです。

 

そうすれば、人を見下すことも、自分を見下す必要もありません。

 

自信が無くなったら、優劣をつけずに、

「今ある差分を、どう自分の成長につなげるか」

にフォーカスしてみてください。